はじめまして、やよいです。
関西在住。昭和47年3月生まれ。
夫と子ども、文鳥2羽と暮らしています。
やよいの育った家庭
父は医師、母は看護師の家庭で育ちました。
外からはとても恵まれた家庭で育ったように見えたと思います。
けれども20代で鬱になり「母の感情の処理係」として生きてきたことに気付きます。
それでもその対処法が分からず、
20代後半まで必死の頑張りで国家資格2つを取得しました。
30代で夫と出会い、結婚して実家を離れて今日まで何とか生きて来ました。
結婚と出産
40代で子どもに恵まれて子育てをする中で、自分の母が異常だったと確信しました。
きょうだいでごはんのおかずが違い、人前で私をこき下ろすような発言をする。
自分なら絶対に子どもにしない言葉を投げかけられて、傷つき、それでも母の喜ぶ人間になろうとしていたこと気付きました。
そして何より苦しかったのが
「自分がどう生きたいか、何が好きなのかが分からない」
ということです。
自分で判断しているようで、母の気に入りそうな決断を繰り返してきました。
父の死で、生まれ育った家族は終わった
数年前、父の死をきっかけに生まれ育った家庭は事実上崩壊しました。
きょうだいがいますが、母による分断で仲が悪く、相続揉めに発展しています。
私は夫と子どもと幸せに生きてゆく選択をして、心も体も実家から離れました。
お陰さまで、優しい家族と周囲の人の温かさで「自分」を育て直すことができています。
こんな子ども時代だったからこそ!
私のように「見えないけれども心に大きな傷を負ったまま大人になった女性」が、
「私だけじゃないんだ」「残りの人生は自分の為に生きる」
と、一歩踏み出すことの励みになればとブログを始めました。
このブログは、私を含め、同じような経験をしてきた人が
「自分を生きる」過程を記録するものになると思います。
母が私にかけた灰色のメガネを外して、
光があふれる世界、美しいもの、面白いもの、人の心の温かさや繋がり、楽しみ、喜びを、できるだけ沢山味わってみたい。
同じような辛い経験をした沢山の女性と。
探し続けた「本当の家」に帰るとき、
「こんな子ども時代『だったからこそ』こんなに幸せを感じることができたよ」って、言えるように。
やよい
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