人が生きて行くこと
両親の元で育って良かったことを3つ(両親のもとで育って良かったこと その1)
を挙げました。
その1.子育ての反面教師になった
その2.人が生きることについて深く考えるようになった
その3.親との人生と、親から離れた人生、2つの人生を生きることができた
その2.について、今日はお話してみたいと思います。
大好きだった父
私は父が大好きでした。
「父とは生まれる前からずっと親子だった」そんな気持ちがしていました。
子どもの頃の最初の記憶は
弟が生まれるので父と兄と3人で過ごしていた時のことです。
父は仕事を休んで私達兄妹を
家から出て坂を登った上にある公園に連れて行ってくれました。
3人で坂を上がって行く時のことが
最初の記憶としてあります。
父の水色のジャージの色、黄色いカーディガンの色も、はっきりと覚えています。
私は3歳でした。
子どもは両親が大好きですが、特に父親が大好きでした。
子どもの頃から帰りは私達が眠ってから、また単身赴任などして
一緒に過ごす時間が少ないかったことが、
より父親を求める原因になったのかもしれません。
後になって気がついたのですが
そんな所も母の気分を害する原因になっていたように思います。
私はそんな大好きな父と、いつか死別することが分かっていました。
ほんの子どもの頃からです。
私は父が37歳の時に生まれた子どもだったので
一緒に居られる時間は短いかも知れない、とどこかで分かっていました。
父が60歳になった時には
「あと何年一緒に居られるのだろう、父と死別する寂しさに耐えられるだろうか」
とこっそり夜に泣いたこともありました。
そしてその後には
「まだまだ大丈夫!考えないでおこう」
と忘れるように努めていました。
結局、父はそれから27年生きてくれて87歳で亡くなりました。
父が亡くなった後の不思議な出来事
亡くなってから1年ほどの間
父が助けてくれているように感じる出来事がありました。
困ったことがあると
父のゆかりの人が偶然に現われて助けてくれるのです。
「身体は無くなっても繋がりがある」
と感じる出来事でした。
そして父の携帯電話の未送信のメールを見つけたことも、不思議なことでした。
亡くなる何年も前に書いて未送信になっていたメールを偶然見つけたのです。
それは「やよいちゃん、誕生日おめでとう。(娘の名前)を大切に育てて下さい」
という文面でした。
「これから先の人生で、私の誕生日が来る度に父におめでとう、と言ってもらえる。」
そう感じました。
そして大切な娘も見守ってくれている。
父から私、娘と命が繋がっている、
「人が生きることって大きな循環の一部分なんだな」
と考えるようになりました。
いつか私もあの世に行くまで私らしい人生を全うしたい、今はそう思っています。
母との関係から見た生きていくこと
人が生きることについて深く考えるようになったもう一つは、
母との苦しい関係でした。
私の周りの同級生は楽しそうに過ごしているのに
どうして私はいつもこんなに追い詰められたような、苦しい毎日なのだろう。
どうして頑張っても頑張っても褒められず、思いも寄らないことで責められるのだろう。
どうして私はこんな人生なのだろう。生きるってなんだろう、と。
父が家に居なかった分、母との時間は多くありました。
いつも不機嫌そうで、彼女の機嫌を取ることが習い性になっていました。
嬉しいことがあって一緒に喜んで貰いたいと報告すると、
「私の方がこうだった」
と自分の話しにすり替えられる。
いつも顔色をうかがい、気に入りそうな言葉を掛ける。
それでも温かな言葉は返ってきませんでした。
「私のどこかが悪いからこうなっているのかな」
自責の念に駆られることもしばしば。
「人生ってどうしてこんなに辛いのだろう」
そんな状況から抜け出したくて、沢山の本を読みました。
ラクになれた考え方
そんな日々のなかで
私にとっては一番「これだ!」と思える答えに出会います。
それは「人生のブループリントは自分で作った」というものです。
そう思うと、母に対して「分かって」「もっと優しい声をかけて」
という求める気持ちが少なくなり
「自分で選んだのなら仕方ないな」って思えたのです。
色々な状況があるでしょうし
いつもいつも「自己責任」という考えが当てはまるとは思いません。
けれども、私はこの考えでラクになれました。
それでも、ずっとその場所に居続けるのはまた別の話になります。
自分と家族を一番大切に
離れる決断もまた「自分で決めてきたブループリント」になるのだと思います。
生きるって、私にとってはとても大変なことでした。
けれども沢山考え、決めて、今の自分があるのならそれは
全部正解だったと思っています。
両親の元で育ったからこそ
父と母、それぞれから学びとったもの。
今はどちらも私を創るかけがえのないものになっています。
もし今、辛いなかにいる人がいらっしゃれば
必ず辛いことの中に隠れている宝物があるはず。
それを諦めずに探して欲しいのです。
きっときっと見つかるはずです。
やよい