【親子の歴史】

両親の元で育って良かったこと(その3)後半

親から離れた人生

「親の元で育って良かったこと」の3つめの後半についてお話ししています。(参照:両親の元で育って良かったこと.その1)(参照:両親の元で育って良かったこと.その2)(参照:両親の元で育って良かったこと.その3前半)から読んでいただけたら嬉しいです。

その1.子育ての反面教師になった

その2.人が生きることについて深く考えるようになった

その3.親との人生と、親から離れた人生、2つの人生を生きることができた

身体が離れただけで心はそのまま

結婚で家を出ましたが、それはただ「身体」が離れただけに過ぎませんでした。心はしっかりと親のもとにあり、何かがあると親が作ったフィルターを通して物事を見るクセが出てきました。そうなると、夫や義母ともぎくしゃくすることがありました。

親から離れてもこの問題は終わらない。

そう感じて暮らしてきました。生まれ育った家庭の物の見方で出来事を解釈するので「結婚しても結局息苦しさは変わらない。私は1人ぼっちだ。」という気持ちにさいなまれました。親子関係の本を沢山読みあさったのもこの時期でした。

子どもが生まれたのが転機になった

転機は子どもを授かった時です。

「このままだとこの子を大切に育てることができない。私のような苦しい子どもにしてしまう」と本気で自分に向き合いました。

けれども案ずるより産むが易し、はここでも当てはまりました。実際に子どもがお腹から出てくると「この子は自分ではない、1人の人格を持った人だ。」とすぐに分かりました。

自分の子どもであっても大切な預かりもののような感覚、というのでしょうか。自分の感情をぶつけたり、気まぐれに扱うことは決してしない。気持ちが切り替わりました。

この子の「母」という役割

私はこの世を去るとき、この人生で一番素晴しかった体験は?と聞かれたら「我が子の親になれたこと」だと答えると思います。

絶対に傷つけない。

この子の良さをつぶさない。

そう決めて実践してこられたことが誇らしいからです。人生で初めて、自分を誇らしいと思える出来事でした。

私は子どもを授かる前、流産や不妊治療を体験しました。もういいや、と思えた時に授かったので、「体験しえなかった体験をさせてもらえている」気持ちが強いのだと思います。

まとめ

この2つの体験を通して、子ども時代自分に起ったことを深く理解すると共に、親も1人の傷ついた子どもだったと分かりました。

だからこそ自分と家族を一番大切に、この連鎖を断ち切ることを決めました。

いま私は実家の家族から離れています。それは苦しい決断でした。このまま母とは会わずに今生はお別れになるかも知れません。

けれども自分が親になってみて、我が子が「自分の人生をしっかりと生きないこと」こそ、いのちに対する裏切りのように思えたのです。

ときどき辛い気持ちに襲われることもあります。

けれども「あの子ども時代があったからこそ、残りの人生は自分らしく生きていく」ことを決意しました。

もし今、同じように親のことで苦しい思いをしていらっしゃる方がいれば、これからはあなたらしく命を輝かせて生きていって欲しいと心から願っています。

私達の命を喜べるように。

やよい

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