【親子の歴史】

もし親が毒親だったら

「毒親」って言葉を聞いたことのある人は、多いと思います。

「毒親」とは、1989年にスーザン・フォワードという人が

「毒になる親一生苦しむ子供」という著書の中で提唱した、

子供の成長にとって悪影響を及ぼす行動をする親のことを指します。

私の個人的な感覚ですが、日本の50代の親はそのほとんどが「毒親」にあたるように感じます。

自分の親が毒親だったのでは、と気付いて知識を得たものの、生きづらさがずっと続いている方に、どのようにしたら少しずつ自分を取り戻せるのかのヒントを書いてゆきたいと思います。

親が毒親だったと分かったら

自分の親は毒親?

今は書物やYouTube、TVでも、苦しい親子関係で子ども時代を過ごし、大人になってから生きづらさを感じる人の存在を知ることができます。

YouTubeでは「毒親からの回復」「毒親を捨てろ!」といったチャンネルが沢山存在します。

それらを見て初めて、「自分の生きづらさの原因は、子どもの頃の親子関係にあった」ということが分かる人もいると思います。

私が「自分の育った家族がおかしい」ということを理解したのは、20代に入ってから

信田さよ子さんの著書を読んだことからでした。

40代後半になり、YouTubeで毒親を扱うチャンネルを知った時

「これで家族の苦しさや、子どもの生きづらさを沢山の人に知って貰える」

と思う反面「親を捨てろ!」という刺激的な発言に、少し怖さを感じました。

私の体験からの個人的な意見になりますが、親を捨てても生きづらさは解消されないです。

確かに親を捨てる=離れることで、心と体の安全が確保され、

セーフティゾーンに逃げ込むことはできます。

けれどもそれはあくまで「ちょっとタイム」なだけ。

本当に生きづらさを解消するには、そこから1つ1つ丁寧に

自分を「育て直す」必要があります。

親を再定義する

私はまず、モンスターのように見えている親を再定義することから始めました。

実はこの親の再定義は、20代始めには済ませていました。

「再定義」とは、親を1人の男性と女性として他人のような目でみる、ということです。

親の生い立ちを思い出して「1人の人が生まれ、育ち、大人になり、結婚し、自分という子どもを産んだ」そういう俯瞰(ふかん)した目で親を見直すのです。

そうすると「この人の人生も大変だったんだな」ということが見えてきます。

「毒親」という称号?を子どもから付けられるほど、偏った物の見方を持つには、

それなりの理由があります。

今あなたが50代なら、大抵の親は戦争のあとの大変な時代を経験しています。

まずしさ、片方の親が居ない環境で育った、健康でなかった、など。

戦争の影響は親の人格をつくり上げるのに、大きな影響があったと思います。

命が脅かされ、食べるものが十分にない環境では、

どんな人間でも「自分を守らなければ」と心の深い場所に思い込みができてしまいます。

ゆっくり時間が取れる時に、親を1人の男性と女性としてとらえ直してみてください。

隣のおじいさんとおばあさん、くらいの距離感でやってみるのがポイントです。

子どもは親が大好き

子どもは親が大好きです。もう無条件に。

なので、大切な親を喜ばせたい、気持ちに添いたいと、全身全霊で親を愛します。

そしてまた、親からも無条件に愛されることを望みます。

これは人間に備わった、本能のようなものではないでしょうか。

毒親問題で苦しんできた人は、必ず親から

「あなたはそのままでは足りない、今のままのあなたではダメ」

というメッセージを受け取っているはずです。

それが一生をかけて子どもにまとわりつく、呪いになっているのです。

あなたは親の満足のために存在しているのではないです。

あなたは立派な人間になるためでも、親の世話をするためでも、

親を喜ばせるために存在するのでもない。

あたなとして幸せを感じて生きてゆく、それだけのために存在しているのです。

親への愛情が、あなたをずっと苦しめている。そのことを自覚してください。

どのようにして自分を取り戻すか

ではどのようにしたら本当の自分を知り、生きづらさから脱出できるのでしょうか。

距離をとってみる

まずは安全な場所まで後退してください。

私もそうだったのですが、親のお世話をしなければ、優しくしなければ、

喜ばせなければという価値観のもと、

苦しくてもズルズルと親のところに手土産(時には現金)を持って、はせ参じていました。

行けない時は、百貨店でちょっと高価な惣菜や鍋セットなどを買い、

クール便で送ったりしていました。

「美味しかった」「ありがとう」という言葉はもちろんありません。

あるとき高価なフルーツを送ったら

「あまり美味しくなかった」と言われましたっけ(´。`)

親にみつぎ物をしている場合には、

「どうしてそれをするのか」

を良く考えてください。

私はあれだけの品を親に贈るなら、夫と子どもに美味しい食材でごはんを作って

あげたら良かった、と今では思っています。

自分に問いかけをする

我慢する子ども時代を過ごしているので、私たちは、

大人に成長できずにいる子どもの自分を抱えていることが多いです。

そしてきっかけがあると、その子どもの部分が暴れだす。

私は自分が好きになれず、いつも人の顔色をうかがって、家庭の外では八方美人、

夫には辛辣(しんらつ)な言葉を投げかけることがありました。

そんな自分に「なんだかこれって、お母さんみたい」と怖くなりました。

嫌な部分がどんどん母親に似てくる。

このままじゃ自分の家庭もダメにするかも。

そんな恐れを持つようになりました。

そのことには気付いても、本を読んだり、コーチングを受けたり、

メンタルの強化を図ったりと、解決策を「自分の外側」に求めていました。

そんなことが15年位も続いたでしょうか。

「もう私は一生変わらないかも」と諦めかけた時、

1つだけやっていなかったことに気がついたのです。

それは「自分の身体の苦しい場所に問いかけてみる」ということでした

自分も、再定義する

私は苦しいことがあると、胸が苦しくなり、喉が詰まったようになりました。

そこで、胸の苦しいところに問いかけてみたんです。

「なにか言いたいことがあるの?ごめんね、今まで無視していて。これからはずっと一緒にいるから話しを聞かせてね」

と胸に手を当てながら話しかけました。

すると「ほんとに聞いてくれるの?」と返事が返ってきたのです!

もしかしてそんな気がしただけかも知れませんが、確かに答えを感じました。

問いかけを続けてゆくと、おなかやせなか、肩、胸のした、など沢山の場所から

返事がもらえるようになりました。

するとだんだんと心が軽くなって、自分が確かに変わっていくのが分かりました。

ずっと置き去りにしてきた「悲しかった」「苦しかった」「寂しかった」

感情を迎えに行き、大人の自分がいやしてゆく。

そうすると、私は母に言われていたような「嫌な子」でも「根気の無い子」でもなく、

本来は明るくて優しい子どもだったと自分を再定義できて、

どんどん自分といるのが楽しくなってきたのです。

自分はなんでもできる!今はそんなふうに思っています。

まとめ

ここまでくると親の影響を外れて、親の貼ったレッテルを外した、

「本来の自分」を取り戻すことができてきます。

親のことを考えて苦しくなることも減ってくる。

たとえ「親を捨てて」もこの感覚にはなれないと思います。

親を「毒親」と罵り、自分を「かわいそうな子」と定義している限りは、

ありのままの自分にはなれないと思います。

「あの日の自分を迎えに行き置き去りにして目を背けてきた感情」

を迎え入れて一緒に生きてゆく。

それができて初めて、今まで知らなかった「自分を誇る人生」を

生きてゆくことができるように思います。

大丈夫!きっとできます。親を憎まなくてもいい。

ただ自分を大切に、自分と仲良くすることだけで未来は変わります。

やよい

 

 

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